2015年1月26日月曜日

早朝、まだ暗い

夜歩く。2人で。冬の夜は疲れが薄れる時間がある。いつまでも歩ける、このまま日が登らなければ、どこまでも歩いていける。ポケットに君の手を突っ込んで、でも手だけしか感じられない、暗くて顔はわからないから本当に僕の隣にいる人は君なのだろうかと思う。話しかけてもたまに返事がないときは、僕のポケットに入ってる君の手が怖くなるよ。冬の夜はシンとしていて、身体が清められるような、でも何か死の恐怖を感じる寒さで、歩かなければ歩かなければ、、、、、、。体の重さは朝を迎える証拠だ、遠くから青がやってくる。
ふと、君の手を強く握って君を見てみると、手から先は青に埋もれて君は右手だけになっている。話しかけても返事は無い。僕は怖くなって右手を緑道に捨てた。青が全体を覆い尽くそうとしている、惚けて、捨てた手を見ている僕を、白い猫が、見ていた。

ライヴを久しぶりにやったんだよ。
とても準備が大変だけれどもやっぱりやって良かったしとても楽しかった。
みんなで物を作り上げることもたまにはしないと、世の中が狭くなって息苦しくなる。だからバンドって素晴らしいなあと思った。こうやって日々、何か夢中になってやれることをやっていれば、人を憎んだり、きっと戦争なんかする気も起きないだろう。心に隙間があるとその隙間に虚無が入り込んでくる。
暖かいコーヒーでも飲もう。

2015年1月20日火曜日

もう君が来ないから僕は行くよ

黒の舟歌を聴きながら、今後の事を考えていた。10年ぶりに大吉を引いて、今年はきっといいことがあるんじゃないかと思ったけど、10年前に大吉を引いた時に何かいいことがあったかというと覚えていない。でも先日久しぶりに一晩中VJしたのはとても楽しかった。約10年間R20というイベントでVJを続けてきた、でも終わってしまった、でもあるきっかけでまた同じメンバーでやることができた。そうか、10年前に引いた大吉は幸福の始まりで、この10年後の大吉に繋がっていたのかも知れない。だから良いイベントに巡り会えたのかもしれないなあ。そんな事を思っている間に、黒の舟歌は終わって、デイドリームビリーバーに変わった。そんで今、肯定の化学になった。
「恥じらいを覚え捨てた、あの季節のあの辺りで彷徨っている。」
「君は話を逸らしたそのそぶりが答えだった。」
次は時代を変える旅に出ようだ。
待っててもしょうがないから、
行こう。

2014年12月11日木曜日

諸行無常スケート魂

冬だ。夜歩いていると足首が痛む。冬は最近、いつもこうだ。昔に何度も捻挫したせいで靭帯がおかしなことになってるんだろう。寝る時も気になって寝付けない位に痛い。一番痛むところに細〜い針をさしてその神経をツンと突いてみたい、もしくはその針二本に電極を繋いで一つは痛い側、もう一つの針を反対の踝側にさし結構高圧な電流を流してみたい。何か気持ちいい様な気がする。
蓄積。という言葉の意味がこの痛みの中にあるようだ。主な原因は13歳から始めたスケートボードにある、捻挫を繰り返したのはそれのせいだし、その度に完治しないまま、またスケートボードに乗り痛い足を庇いながらまた怪我をする。よせばいいのにまた我慢出来ずにスケートボードに乗る。一度、母に、いつまでそんなことを続けるのですか?体が資本の貴方は怪我をしたら生活が出来ませんよ。というような事を言われて、僕はこう言った。コレが僕自身であります母様、怪我をする事には極力気を付けますが、スケートボードに乗らない僕は、母様の知っている僕ではありません。従ってコレだけは辞められないのであります。
この事を想うに、この痛みの中に見出した蓄積というのは即ち、僕自身の特性であり、僕は足首に長年スケートボードに乗る事で蓄積した痛みの持ち主であるという事が僕が僕である所以の一つである。大ケガもする、骨も折るし歯も欠けるし靴はすぐにだめになるしTシャツも破ける。普通、人はこんな事に対して繰り返し挑むだろうか?でも、それでもやりたい、その障害にぶつかることでさらなる進化を得られるとスケートボードを長年続けている人は本気で思い込んでいる。スケボーの事だけを言ってるんじゃない。何か夢中になる事は全部そうだ。無から有になり(生を受けること)有から無に向かう(生き、死ぬこと)その間に必死にもがき障害(困難、乗り越えたいという概念)に自分をぶつけ、ぶつける事で無駄を削り、より動きやすく、自分が自分らしく、自我が形成されて行く、死ぬまでそうして生きて行くことが人にとっての使命なのだと思う。だから生きるスピード(時間的な観念のスピードでは無く)を上げて色んな障害に体当たりして自らを削り行く人はそれ故に無駄がどんどんそぎ落とされ続けてピカピカに輝いて見えるし、迷うこともない。空を得ることが出来る。いずれ無になる(肉体もなくなる)事に意味は無い、と言うよりもそのことにかまけて生きているつもりは無い。よって有(肉体を持つこと)も意味がない、というよりも考える術もなくこの世にあったのだから。僕の場合はスケートボードにしろ絵を描く事にしろ、物を作り出すという事において身を削り行く事を自分なりに実践するのだ。いずれ形は無くなる。
諸行無常。
それでも研ぎ澄まされた魂は有無関係なく、絶対だ。
まだ足りない、なるべく全部持ってスピードをあげてぶつかる。
しかしそれにしても、今日はいつもより足首が痛む。
ジンジンする。冬だ。冬なんだな。

2014年12月2日火曜日

不思議な体験は不思議なタイミングでやってくる

連日の夜勤仕事のせいで体が鉛のようだ。たまの休日くらい、酒でも飲まなければやってられない。不思議な体験は不思議なタイミングでやってくるもので、昨日、10尺の脚立の上で何か呼ばれたような気がして振り向くと神にあった、神は凄まじい光を放っていてこちらの思考を瞬時に停止させる。脚立の上で左手に塗料、右手にハケを持ったままボー然と神秘体験する私に現場にいた労働者達は気づくはずもなく、引き渡し前の慌しさに皆気が立っている。何故、此処にこんな光があって、何故私はそれを神と理解したのだろうか?光に当てられた目に映るのは強烈な白で、その中に蠢くグロテスクな一層明るい白があった。畏怖を感じた、自分の無力さを感じて恐ろしいような、全て身を任せて甘えたくなるような体験だった。10尺の脚立の上で、ふと我に帰った私の目の前には、先ほど前髪白メッシュのヤンキーっぽい電気工事屋の兄ちゃんがあーだこーだと文句を言いながら取り付けていた新品のスポットライトがこっちを照らしている。ふう、疲れがかなりきてる。でも、さっきのアレは、確かに神だろ。不思議な体験は不思議なタイミングでやってくる。だから不思議だ。

まだ寝付けないから、空(くう)について、考えてみる。
龍樹の教えについて今勉強中だ。


2014年11月25日火曜日

何故こうなったかわからない

正直な気持ちを言うと凄く照れ臭いので、正直な気持ちは言葉にしませんあんまり。昨日も今日も多分明日も酒を呑んで体調を整えるよ。クズの健康法については一過言ある。まあでもそんなことが言いたいんじゃなくて、愛しい人に楽しい気持ちでいてほしいから、僕は後もう少し生きて、その後はそれまで生きた分の責任を取りたいと思っている。憂いて嘆くのはそろそろやめてあなたを迎えに行こうじゃないかと思い、スケボーに乗って街を走ると大地震が来てそこらじゅうがバンクだらけになって、町中が蠢くスケートパークになって悲鳴と怒号と血と汗と涙と恐怖と欲望と緊張と達成感が渦巻いて、行き先を見失って、またあなたの所に辿り着けない。僕らは結局、違うところにそれぞれ、向かってる様だなあ〜と思って悲しくて涙が出て来る。僕はスケボーをフルプッシュして涙を切って、力尽きて倒れ込んで息もできなくて、咳き込んでヨダレが垂れて死ぬかもって思って蹲ったときに目の前が急に明るくなって嘘みたいに気分が良くなって立ち上がるとそこは故郷の海の砂浜で、スケボーの代わりに何かよくわからないモジャモジャな生き物が横にいて僕にとても良く懐いている。僕はボー然と突っ立って、「ここにだけは来たく無かった。」と言う。
最悪な人生だ。来世でわきっと。と頭の中で言い訳をする。クソッ。

2014年8月28日木曜日

ハードコア書房

「なんだかさあ、今迄に人があまり立ち入らなかった海域に船を出そうと思うんだよ。」
 「そう、良いんじゃないの、面白そうじゃんか。」
「君も乗らないか、この船に、君が必要なんだ、一緒に行ってくれないか。」
 「ああ、そう言うだろうと思っていたよ、もう荷物はまとめてあったんだ。」
「話が早い、乗った乗った、さあ、他の乗組員を紹介するぜ。」

船の生活は楽しくて、色んな刺激を僕にくれました。はるか遠く迄行き、遠くの港で見た事の無い景色を見たり、そこで出会った他の船乗り達と言葉を交わし、また合おうと握手をする。そしてまた遠くの港へ赴いて、伝説の船乗りとも酒を飲み、語らう事ができた。この船はきっと何処迄も行けるんじゃないかと本気で思っていたんだ。

でも、途中で船を降りていく人や、仲間どうしの喧嘩、他の船に誘われて行ったり来たりする人、家庭の事情で陸に上がる人、最初に描いた航路とは違って、行き先が見えなくなって来たり、船が故障したりと、このところ困難が続いている。昨日また一人、この船には気に食わない奴が居る、そいつが降りないなら俺は降りると言って陸に上がって行きました。

船長はなんだかやる気だけあって、でも行き先を決める事を放棄している。
副船長は酒に溺れて、自我をすぐに無くす様になってしまった。
他のベテラン乗組員はこんな事慣れっこだと言いながら他の船の乗組員と楽しそうに話している。下っ端はオドオドしながら皆の顔色をうかがっている。
僕は、楽しかった頃を思い出しながらノスタルジーに浸って、沈みそうな船の上で陸の方を見ている。始まりがあれば終わりもある、でも他の船に乗る気はない、でも行き先は決まっていない。この船は一度、修理が必要だ。乗組員達も一度、陸に上がって生活を送る事が必要かもしれない。またいつか水平線の向こうに何があるのか見たくなる事があると思う、それこそが生きている意味だと本当に思えるからだ。この船が教えてくれた、唯一本当の事だ。



そして、

「おーい、起きろ、準備は万端、エンジン絶好調、あとはお前が乗るだけだ」
 「今行くよ、退屈すぎて昨日飲み過ぎたんだ。」



-----船乗りという名のバンドマン達------  

著:ベトナム坊主 
発行:ハードコア書房 より抜粋



こんにちわ。ラコスモスです。バンドって続けていると色々あるよね。





2014年8月22日金曜日

さっき死ぬとこだったよー。って歌あったよねえ?

「あの、真っ暗で、黒くて、しんっ、とした世界。と言うかもっと深く暗い所に沈んでいく感じ。すーーーーーっと。戻れない位に。それに気付いたのは今生きてるから。黒の中に、声が微かに聞こえている、あまりにも無で、最初はよく耳をすまさないと聞こえてこない位。周りの黒に吸収されてほとんど聞こえない、でもまだ聞こえる。嗚呼、もう、何を言ってるのか。気になる。
いや。叫んでいる、微かに聞こえている叫び声だ。何を叫んでいるのかね、もう少し聞き耳を立ててみる、そっちに意識を集中する、少し大きく聞こえるようになって来た、ん、なんか呼んでる、呼んでるね、アレ、自分の事呼んでる。さらに声が大きく聞こえて来た、なんかうるさい、何、何だよ、俺かよ、何だよ、誰だよ、うるさいよ、なんだよ、やめろ、うるさい、やめろ、おい、おい、やめろ、おい、行くな、やめろっ、おいっ、行くなっ、違うっ、そっち行くな、やめろっ、戻ってこい、おい、おい、戻ってこいっ、やめろ、こっちだよ、おい、おい、俺だよ俺だ、ここにいる、おい、こっちだ、戻ってこい、ここだよ、おい、おい、ここだ、ここだよ、戻れ、おい、頼む、俺だよ、おい、おいっ、頼むよ、やめろ、こっちだっ、やめろよっ、戻ってこい、おい、おおい、此処にいるよっ、おい、おい、俺だよ、こっち来い、此処だよ、此処、此処だよっ、やめっろおお、、、、部屋の入り口の壁につかまって、声枯れるくらいの大声で、必死で、叫んでる俺が見てる景色が見えた。俺に戻った。自分のでかい叫び声にびっくりした。怖かった。死ぬとこだった。

あのとき必死で呼んでくれたのは誰だろう、もう1人の俺か、それとも違う誰かか、先祖か?守護霊?わかんないけど、あのとき必死で呼んでくれてありがとうございました。僕は多分、今、生きていまあーす。」

と、いうような夢を見ました。なんか来てるなあと、思いまして、もう一度寝るんですよね。今度は楽しい夢か、いやらしい夢がみたいよな。

寝る前に告知でもしよう。
8月27日水曜日、西荻窪のpitbarでquangducasylumライヴやります。
オーストラリアからHARD・ONSが来ます。
quangducasylum出番は最初の19:30からですよ。来てよね。