2013年12月5日木曜日

最近のラコスモスの事。なんかそういうのはそのうち身に付く、身に付いたと思った瞬間ひっくり返される。戦々恐々とした世の中をサバイバルする。生き残っても死んでもその価値は知らない。意味なんてねえし、それを求めて生きるのはつまらない、真っ当に正面切って立ち向かう人を尊敬する。自分がそうでない事も認めるしそれが今更できないのは自我が邪魔しているからだと言い訳する。未来を思い描くのなら欲は要らないし共産主義にでもなれればそれで良いと思う、行動は絶対だと信じてライヴする事を信じるしその先を夢見ない事に集中しながらも夢精をする。何処に行き着くかを想像したとたん、其処には行けないから、いつも何も考えてない振りをしながら寂しがる。自己嫌悪は最低だから自己を肯定しながら自己を蔑み、誰彼構わず好かれようと努力する人を哀れむ。私の矛盾は既に遠く、さらに突き進んでいると錯覚。考えなくてすむなら睡眠不足にはならないし夜はこんなに長くない。政治が必要じゃなくなる位になる頃にはスピードも時間も無いだろう。一日は何時間か?一日は何時間でもある。虚無は打ち砕くが虚構は計り知れず、もはや何に満足しているかさえ解らなくなる。コントロールするものはいずれコントロールされるものに移り変わり、微々たる変化を重ねながらナメクジのように徐々に進みながら生きる。それこそが歴史の積み重ねてきた事実なのだとすれば人は皆並列に同じで、つまらない生き物だ。重ね重ね残念だと思う。でも死ぬまで生きなければならないから、死ぬまで生きる事を恥ずかしさも無く選ぶしほとんどの人がそうだ。三島由紀夫は死んだけれど余計なお世話だとも思う。事の発端は何だったのか、どうしてこんな所に来てしまったのか、僕には解らないのでこうして駄文を連ねて死ぬ事もできない。商売をする器も無い。この先続けていく自信は無いがやめる勇気もない。そうやってこれまでやってきたのだなあ、と思うと悲しくなって涙が出るようで出ないのが最近のラコスモスだと思う。
この先どうなる事か『カミ』のみぞ知る。と言いながら、飛ぶ。プロフィール。