2011年3月25日金曜日

スケボーと大場ちゃんの事

絵を描く事、VJする事、それよりも長くやって来た事って多分スケボーだ。中2の頃スケボーを初めた。姉ちゃんに沼津にスケボーうまい人いっぱいいると言われ、友達とおそるおそる行った沼津中央公園。むっちゃくちゃうまい人が一人で滑っていて、その人に話しかけられたけど何喋ってるか全然解んない喋り方で、やべえなこの人っておもった。スケボーうまいけど頭おかしい。その人こそ知る人ぞ知る『大場ちゃん』だ。大場ちゃんは当時23歳?、色黒茶髪。得意技はインポッシブルとかのニューディール系とヒールフリップ系。当時ダボッとした太いパンツを腰で履くのがスケーターファッションの主流だったけど大場ちゃんは太いパンツをちゃんとウエストで履いてた。スケボーはうまいんだけど、なんだかとてもださい。でも中央公園の事を良く知らなかった僕らは最初、大場ちゃんと仲良くしてもらった。そして僕らは中央公園に毎日通うようになって色んな人と仲良くなって行った。同世代の奴も下の世代の奴も沢山増えた、先輩は皆かっこ良かった。だけれど、大場ちゃんはいつもだっさいNS-R50に乗って1人で来て、1人で帰ってた。とにかく何を喋ってるか解らないし、よおく聞くと自慢話だし、しかも下ねた、女子高生の前ですぐカッコつけるし、バイクのシートにシューグー(スケートシューズの補修用ボンド)塗りたくられるし、おまけに何指か忘れたけどどれかの指が短い。なんでか聞くと工場で働いてて機械で切り落としたらしい。かわいそうに。でも皆『おい、大場ちゃん、さっきあっちに指の先っぽ落っこちてたよ。』とか『これ大場ちゃんの指の先っちょじゃねえ?ああ、違うわ、小石だ。』とか言っていじってた。今考えると酷いな、、、でも大場ちゃんはいつも居た。スケボーが大好きだったんだろう。最初の僕らと同じように初めて来る若い子達には大場ちゃんはでかい顔する。そしてだんだん相手にされなくなる。俺はそんな大場ちゃんが面白くて仕方なかった。なんて言うか好きじゃないけど居なきゃいけない奴だった。僕らが上京するちょい前になると大場ちゃんホームレス説って言うのが流れ始めた。どうやらあちこちで借金をして家にも帰れず、中央公園の近くのマンションの階段で寝てるという噂が。その頃一度中央公園に4トントラックが横付けされて中からゴッツイおっさんが降りて来て大場ちゃんがボコボコにされて大場ちゃんが泣いて謝る場面に遭遇した。そのあと位からあまり大場ちゃんが公園に顔出さなくなって行った。そして僕らは上京、地元に残った友達にたまに噂を聞いてたのも最初だけで、今大場ちゃんが何やってるか全然知らない。今何やってるのかな、大場ちゃん。まあ、どっかで生きてればいいや。それにしても、大場ちゃんとか、他にも強烈な人間があの頃の沼津には沢山居た。週末は凄い人数で賑わってた、夏休みとかは毎日朝までずっと滑ってた。でも今はあの頃程スケーターは居ないらしい、あの頃地元で俺をサポートしてくれてたスケートショップ"TRICKS"も何年か前に元のサーフショップOUTLINEの1角に戻った。そのOUTLINEも今月一杯で店を閉めるそうだ。

僕らは30代になった。あの頃に比べたら体力も落ちた、でもまだスケボーをやってる、絵を描いたりデザインをしたりしながら。そしてスケボーのデザインをする事はある種、僕の夢というかあこがれだった。そして今回、地元の沼津から一緒に上京した友達のバンド、オールディックフォギーがディスクユニオン傘下のDIWPHALANXrecordsからスケボーのデッキを出す事になり、そのデザインをやらせてもらった。
DIWPHALANXの広中さん有り難うございます。
そしてアートワークは全て僕に任せると言って自由にやらせてくれたマイメン、オールディックフォギーの伊藤ちん、ありがとう。僕らはいつも異端だった。太いパンツにヒップホップが主流のスケーターファッションはすぐに捨てた、大好きなパンクロックを聴いて鋲ベルトでビリビリのバンドTシャツでドレッドでフルプッシュで走ってた。そして今やスケボーと音楽を通して全国に仲間をもった。不良だけど、僕らが伝えたい事に答えてくれる人が沢山増えた。ここからだ、まだまだこれからだ。これは運命か、いいや、運命のせいじゃねえ!
Keep on skatebord!!! Skatebording is not a crime!!!


四月下旬にディスクユニオン店頭と通販で出ます。数量限定。

1 件のコメント:

  1. 大場ちゃん懐かしい!
    板作ったんだねー!かっこいい。
    おめでとう。

    秀樹

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